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各墓の調査成果

ドキュメント内 浦添市文化財調査報告書 | 浦添市 (ページ 36-86)

 前田西前田原 B 丘陵の調査では、合計 63 基の遺構が確認され、墓に関連する蔵骨器や副葬品など の遺物が得られている。これらの遺構と遺物の概要については、第 2 表と第 3 表に示したとおりである。

本節では、これらの墓の中から比較的遺構と遺物の残存状況が良い 12 基の報告を行う。なお、本節 で報告を行う以外の墓は、第 4 図と第 2・3 表、第 39 図・第 40 図及び巻末の図版をもって報告とする。

(1)4・5号墓

1)遺構(第 5 図、第 6 図)

 4 号墓と 5 号墓は横穴式の掘込墓で、同丘陵の南側斜面の中央部付近に位置する(第 4 図)。4 号 墓の墓室右側と 5 号墓の墓室左側の壁面を掘り抜き連結しているため、あわせて報告を行う。墓の立 地する標高は約 85 ~ 89m である。遺構の周辺はほぼ埋没していたが、表土を除去したところ墓口が 検出された。墓庭は 4 号墓と 5 号墓で個別に造られず、共有した状態であった。

 4 号墓の墓室は平面形が方形であり、墓口から奥に向けて直線的に横穴が掘り込まれ、奥に二段の 棚が造られる。二番棚は L 字状になり、左棚は二番棚からわずかに段差がある。ただし、5 号墓と連 結されるなど、墓室の一部に後世の改変がみられることから、二番棚についても一部改変されている 可能性もある。墓室の奥行きは 2.30m で、幅は 2.40m、墓室内の高さは 1.86m である。墓口方位は、

南南西(N155°W)である。

 5 号墓の墓室は平面形が方形であり、墓口から奥に向けて直線的に横穴が掘り込まれ、奥に三段の 棚が造られる。奥側から一番棚と二番棚が造られ、三番棚はコの字状に造られる。墓室の奥行きは 2.44m で、幅は 2.66m、墓室内の高さは 1.86m である。墓口方位は、南南西(N165°W)である。

 これらの遺構は、墓室内に蔵骨器がみられないことや、遺構の連結部から陶製の火鉢などの近代の 遺物がまとまって出土したことなどから、沖縄戦の際に墓を転用して壕として利用されたものと考え られる。同丘陵や隣接する前田西前田原 A 丘陵にもこれと同様に、墓が連結され壕として利用された 事例が確認されている(浦添市教育委員会 2015)。蔵骨器がほとんど残っていないため、墓としての 使用年代などは不明である。また埋没時期の詳細も不明であるが、壕として利用された形跡があるこ とや、周辺の状況からおそらく戦時中に砲撃などを受けて埋没したものと推測される。

2)遺物(第 7 図)

 4 号墓と 5 号墓から出土した遺物の種類と数量については、第 3 表を参照頂きたい。このうち比較 的残存状況の良好な陶器の碗 1 点と歯ブラシ 1 点について報告する。歯ブラシは写真のみ掲載した。

 第 7 図 1 は、愛媛県砥部産の陶器の碗である。沖縄では「スンカンマカイ」と呼称されるものであ る。口縁部が半分ほど欠損している。コバルトでの型絵染付後、全体に透明釉がかけられる。色調は 全面的に青みがかった白色で、文様はコバルトの鮮やかな発色である。外面全体と口縁内側、見込み 部分に花文が表現される。見込みに重ね焼きの際のハマ痕が残る。復元口径は 13.4cm、器高は 5.6cm、

底径は 4.8cm。4 号墓と 5 号墓の連結部の床面直上から出土。出土状況から、墓で使用されたもので はなく、壕に避難した際に持ち込まれたものであると考えられる。

S=1/50 2m 0

G.N.

4号墓

5号墓

AA'

B B'

C' C

D

D'

遺物集中地点

第 5 図 4 号墓・5 号墓平面図

S=1/80 2m 0

85.0m 86.0m 87.0m 88.0m 89.0m

85.0m 86.0m 87.0m

88.0mB B'

A A'

B 4号墓縦断面図(A-A’)

4号墓墓室横断面図(B-B’)

C A

85.0m 86.0m 87.0m 88.0m 89.0m 85.0m 86.0m 87.0m

88.0mD D'

D

C C'

5号墓縦断面図(C-C’)

5号墓墓室横断面図(D-D’)

第 6 図 4 号墓・5 号墓断面図

 第 7 図 2 は、セルロイド製の歯ブラシの柄である。毛は残存していない。柄の下端付近に 0.4cm の孔があけられる。柄の中央部に縦書きで「クミアイ歯刷子」の文字が刻印されている。文字の下に は〇の中に「公」の文字がみられる。これは近代の統制経済下における公定価格の示すものであると 思われる。文字の上部にもマークが見受けられるが、不明瞭で判然としない。全長 14.7cm、重量 7.47g。

4 号墓の墓庭埋土より出土。

(2)6号墓

1)遺構(第 8 図、第 9 図)

 6 号墓は横穴式の掘込墓で、同丘陵の頂上付近の北側斜面に位置する。墓の立地する標高は約 88

~ 91m である。この周辺はほぼ埋没していたが、表土を除去したところ墓口が検出された。墓室内 はそれほど崩落土などが堆積しておらず、奥棚の上やシルヒラシから蔵骨器が数点検出された。

 6 号墓は墓口から直線的に幅 0.6m の羨道が掘り込まれ、方形のシルヒラシの奥と左右に一段の棚 が造られている。このような墓室の形状は、第1表の2類 b に該当するいわゆる出窓状の棚を有する 墓である。墓室の奥行きは 1.88m で、幅は 2.76m、墓室内の高さは 1.55m である。棚の高さは約 0.6m ほどである。墓口方位は、北西(N47°W)。

 奥棚から検出された蔵骨器は、甕形の蔵骨器の底部から胴部にかけての破片であり、概ね三点分の 分量が検出された。シルヒラシや墓庭からも蔵骨器片が出土している。蔵骨器に書かれた墨書の銘書 からは断片的ではあるものの、「前田村」の「石川」家の墓であることが判明した(第 5 表)。屋号が 記載されることなどから、この石川家は百姓身分であると考えられる。

S=1/2 10cm

0

2

1

第 7 図 4 号墓・5 号墓出土遺物

S=1/40 2m 0

A A'

B B'

G.N.

蔵骨器1 蔵骨器2

蔵骨器3

第10図3 第10図4

第 8 図 6 号墓平面図

S=1/40 2m 0

S=1/60 2m

0 88.0m

89.0m

90.0m B B’

遺物出土状況見通し図(B-B’)

墓室横断面図(B-B’)

縦断面図(A-A’)

87.0m 88.0m 89.0m 90.0m 91.0m

B B'

87.0m 88.0m 89.0m 90.0m

A

B

A A'

第 9 図 6 号墓遺物出土状況図・断面図

第 4 表 6 号墓出土蔵骨器観察一覧表

図版番号 出土 地点

種類

つまみ/屋 根形状

接合部

つまみ 圏線

(㎝)

かえり (㎝) 大き

(㎝)

文様 成形/調整 釉薬 窯印 銘書 備考

マド枠(庇 部㎝)/屋

門形

縦長軸

×横長 軸(㎝)

窓数/形 横帯 底面

第10図3 図版163

墓室シ ルヒラ シ直上

ボー ジャー

饅頭形 なし 1段

(圏線1 条)

なし なし 10.0 32.6 31.4 13.5 11.2

なし

ロ クロ 成 形。 回 転ヘラ削りの 後、

回 転 ナ デ 調 整。

つ ま み 台 は 削り 出し、 端 部 は 平 坦に成形。

なし なし あり

第10図4 図版164

墓室シ ルヒラ シ直上

ボー ジャー

なし なし なし

10.2 35.5 34.4 9.8

-なし

ロ クロ 成 形。 回 転ヘラ削りの 後、

回 転 ナ デ 調 整。

頂 部 は 調 整され 。 内 面 に 水 挽 痕が残る。

なし なし あり

第10図5 図版165

墓室シ ルヒラ シ直上

ボー ジャー

饅頭形 なし なし

(圏線1 条)

なし なし 7.9 31.0 29.8 11.3 8.5

なし

ロ クロ 成 形。 回 転ヘラ削りの 後、

回 転 ナ デ 調 整。

端 部 は平 坦 に 成 形。 内 面 に 水 挽 痕が残る。

なし なし あり

第10図6 図版166

墓庭 表採

ボー ジャー

饅頭形 なし なし なし

8.8 32.4 31.4 11.8 9.8

なし

ロ クロ 成 形。 回 転ヘラ削りの 後、

回 転 ナ デ 調 整。

端 部 は平 坦 に 成 形。 内 面 に 水 挽 痕が残る。

なし なし あり

第10図7 図版167

墓庭 表採

ボー ジャー

なし なし なし

8.4 28.0 27.2 9.9

-なし

ロ クロ 成 形。 回 転ヘラ削りの 後、

回 転 ナ デ 調 整。

頂 部 は 調 整され 。 内 面 に 水 挽 痕が残る。

なし なし なし

第10図8 図版168

墓室奥 棚直上 (蔵骨

器1) ボー ジャー

平葺形

(1.7)

8.8×

17.0 3個 方形

凹2 凹1 凹1

4個 円形

27.3 37.7 21.4 49.4

胴部正面に線 彫りの蓮華文

口 縁 は 玉 縁 で 内 傾 する。 ロ クロ 成 形 後、 ヘラ 削 りと ナ デ に より 丁 寧 に 調 整され る。

なし なし なし

第11図9 図版169

墓室奥 棚直上 (蔵骨

器2) ボー ジャー

唐破風形

(1.3)

10.7×

21.0 3個

(方形1 円形2)

凹3 凹1 凹1

6個 円形

33.8 45.2 24.8 61.7

なし

口 縁 はや や 直 立 てつくられ、口 唇は丸くつくられ る。 ロ クロ 成 形 後、 回 転 ヘラ 削 、 ナ デ に より 調整。

なし あり なし

第11図10 図版1610

墓室奥 棚直上 (蔵骨

器3) ボー ジャー

平葺形

(1.3)

10.1×

16.1 3個 方形

凹3 凹1 凹1

7個 円形

31.9 41.8 25.7 56.6

なし

口 縁 はや や 直 立 てつくられ、口 唇は丸くつくられ る。 ロ クロ 成 形 後、 回 転 ヘラ 削 り、 ナ デ に より 調整。

なし なし なし

第11図11 図版1611

墓庭 表採

ボー ジャー

平葺形

(0.6)

7.5×

14.8 3個

(方形1 円形2)

凹3 凸1 凹1 凹1

4個 くさ び形

27.3 35.4 22.6 50.2

なし

頸 部 が 直 立 し、

口 唇 が 平 坦 で わ ずかに内傾する。

ロ ク ロ 成 形 後、

回 転 ヘラ 削りと ナデにより調整。

なし なし なし

※大きさ ( ㎝ ) は、蓋が上から上部径 / 口径 / 内径 / 器高 / 体部高、身が上から口径 / 胴径 / 底径 / 器高である。

3

4

5

6

7

8

S=1/6 30cm

0

蔵骨器1

第 10 図 6 号墓出土遺物 1

9

11

10

S=1/6 30cm

0

蔵骨器2

蔵骨器3

第 11 図 6 号墓出土遺物 2

 墓の明確な造営年代や使用年代は不明であるが、蔵骨器のほとんどがボージャー形であることや、

ボージャーの蓋Ⅴ・Ⅶ型式、身のⅡ~Ⅶ型式のものであること、ほかにマンガン釉甕形の蔵骨器も検 出されていることなどから、主に 18 世紀中頃~ 19 世紀にかけて使用されていた可能性がある。遺 構の埋没時期については、周辺の地形の崩落状況などから沖縄戦時か戦後に埋没したものと思われる。

2)遺物(第 10 図、第 11 図)

 6 号墓から出土した遺物の種類と数量については、第 3 表を参照頂きたい。このうち墓室から検出 された比較的残存状況の良好な蔵骨器を蓋と身あわせて 9 点について図化した。これらについては、

第 4 表および第 5 表を参照頂きたい。人骨の詳細については第 5 章を参照頂きたい。

第 5 表 6 号墓出土蔵骨器の銘書一覧表

図版番号 銘書

第10図3 図版163

○/合三人兄弟/かめ石川/父親/故古波蔵にや/父親/かな石川/母親 第10図4

図版164

(判読不能)戊■七月七日洗骨かめ石〈欠損〉

第10図5 図版165

(判読不能)年■/(判読不能)■/前田村■男〈欠損〉■子/石川女房/同四年丙辰十二月十六日 第10図6

図版166

〈欠損〉

(3)31号墓 1)遺構(第 12 図)

 31 号墓は横穴式の掘込墓で、同丘陵の南側斜面下段の東側に位置する。墓の立地する標高は約 84 ~ 86m である。この周辺は段状の地形で二段にわたり墓が形成されている。本墓が位置する下段 については、調査前はほぼ埋没していたが、表土を除去したところ墓口が横並びに検出された。31 号墓は天井部が崩落して埋没していたが、表土を除去したところ遺構内に蔵骨器が安置された状態で 確認された。

 31 号墓は、墓口から直線的に幅 0.66m の羨道が掘り込まれ、奥にほぼ方形の墓室が造られている。

墓室内に棚は造られていない。墓室の奥行きは 1.00m で、幅は 1.40m、天井が崩落により残存して いないため、墓室内の高さは不明である。墓口方位は、西南西(N113°W)である。

 蔵骨器の身が墓室のほぼ中央の奥壁付近に直立した状態で検出されており、蓋は身の前面に滑り落 ちた状態で出土した。蔵骨器内には人骨が残存していた。

 墓の明確な造営年代は不明であるが、検出された蔵骨器がボージャー形であり、かつ蓋はⅦ型式・

身はⅢ型式のものであることから、1750 年代~ 90 年代にかけて使用された可能性がある。遺構の 埋没時期は周辺の地形の崩落状況などから、沖縄戦時か戦後に埋没したものと思われる。

2)遺物(第 13 図)

 31 号墓から出土した遺物の種類と数量については、第 3 表を参照頂きたい。このうち墓室から検 出された比較的残存状況の良好な蔵骨器1点について図化した。この蔵骨器については、第 6 表の観 察表を参照頂きたい。人骨の詳細については、第 5 章を参照頂きたい。

ドキュメント内 浦添市文化財調査報告書 | 浦添市 (ページ 36-86)

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